なんとなく日記

「あなたにとって私はなんなの?」という問いは自分という存在に何かしらの価値があるだろうという希望的観測によって発せられるがこの脅迫にも似た質問に対して、建前はともかく大抵の場合期待した答えは用意されていない。


誰かにとっての何者かであろうとする努力は人知の及ばないところで可決されているし自分に価値を与えてくれる存在を欲する行為は愛などではない。


他者との関係性による相対的な存在と認識による主観的な存在はハッキリと違う。
だからと言って傲慢な勘違いにより心の平安が得られるのであればそれはそれで本人は幸せなことかも知れず、そのまま花畑の中に安住することを断罪する資格は誰も持たない。


飛行と墜落は酷似している。人工衛星は飛んでいるのではない。
落下し続けているのだ。


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